(はちじょういんりょう)
【古代・中世】
高橋荘を含む天皇家領荘園群。八条院暲子(あきこ)内親王(1137~1211)は鳥羽天皇の皇女で、後白河天皇の妹にあたる。多くの天皇家領荘園を相続し、それらは八条院領荘園と呼ばれ、天皇家の所有する膨大な荘園群の主要な一角を占めることになる。その目録として「八条院領目録」が安元2(1176)年に作成された。高橋荘は、現存する史料の中ではそこではじめて見出され、それ以前における天皇家領荘園としての立荘であったことがうかがえる。その目録では高橋荘が「庁分御庄」とされており、八条院庁によって直接管理される荘園であったこともわかる。また高橋荘は官符を帯びた荘園とされているから、手続きを踏んで正式に認可された荘園であった。一方、高橋新荘はそう記されていない。高橋荘で荘民や耕作地が増加し、本来の荘域を越えて周辺に広がっていった経緯が推測できる。八条院領のひとつであったことから、高橋荘の歴史や特質について、多くの情報が得られるのである。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻198ページ
→ 高橋荘