八幡宮本殿・拝殿(広幡町)

 

(はちまんぐうほんでん・はいでん)

【建築】

広幡町(保見地区)。天文年間(1532~55)の頃、西広見の城主中条将監秀正の創建と伝える。棟札より現本殿(写真)は、寛政9(1797)年の再建、拝殿は安政3(1856)年の再建であることがわかる。本殿は桁行3間(9尺4寸)、梁間2間(5尺8寸)の身舎に三間庇を付した三間社流造、屋根は銅板葺(もと檜皮か杮葺)で、箱棟を載せ両端に鬼板を置く。軒は二軒繁垂木。妻飾は虹梁大瓶束・笈形付で、束上に大斗実肘木を載せ化粧棟木を受ける。破風の拝みと降り、庇の桁隠しに蕪懸魚を吊る。身舎の正側三方に擬宝珠高欄付の濡縁を廻らし、側面の縁後端には脇障子を立てる。縁正面には登高欄付の3間幅の木階6級を設ける。身舎柱は円柱で、柱間に縁長押・内法長押・頭貫を廻らし、頭貫端に木鼻を出す。柱上には拳鼻付の出組斗栱を載せ、正側面の中備に蟇股を入れる。また、軒支輪には若葉の彫刻を施す。正面3間では縁長押と内法長押間を開放し、この奥に奥行2尺ほどの入込みを設け、その後方に内陣を設ける。内陣正面では、壁際に半柱、中2本に円柱を立て、縁長押・内法長押・天井長押を通す。各柱間では方立・小脇羽目を組んで板唐戸を吊る。入込みの床は長押1段高めた板敷きで、天井は鏡天井を張る。庇柱は面取角柱で、柱間に頭貫虹梁を入れ、端に象鼻を出す。柱上には出三斗を置き、中備に透蟇股を配す。両端の斗栱の後方には海老虹梁を入れて身舎と繋ぎ、中2本の斗栱の背面には手挟を入れる。本殿には彩色が施され、柱・長押・虹梁・斗栱・垂木など主要軸部には朱を、庇柱・軒桁・扉周囲・高欄などの各部には黒漆、小壁・手挟・拳鼻木口・笈形などには胡粉が塗られる。拝殿は桁行3間(19尺)、梁間3間(12尺6寸)、入母屋造、妻入、銅板葺で、軒は一軒半繁垂木。妻飾は虹梁大瓶束・笈形付である。柱は面取角柱を用い、足固め貫・無目敷居・鴨居・内法長押・飛貫を通して固め、正背面の中央間のみは内法を1段上げて虹梁を入れるほかは、各間とも開放し、内法長押上を縦板張りの小壁とする。柱上には舟肘木を載せて軒桁を受け、正背面の内法虹梁上には大型の彫刻蟇股を置く。天井は棹縁天井、床は板敷きとする。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻220ページ