八幡社本殿(東萩平町)

 

(はちまんしゃほんでん)

【建築】

東萩平町(旭地区)。社伝によれば寛永17(1640)年9月の創立と伝える。本殿の建立年代は、様式的には江戸時代後期(19世紀前半)とみられる。本殿は三間社流造で、軒は一軒繁垂木、屋根は銅板葺(もと檜皮葺)である。身舎の正側三方に刎高欄付の縁を廻らし、縁側面の後端には脇障子を設ける。縁正面には擬宝珠柱を立て、登高欄付の1間幅の木階6級を置く。木階の正側三方には浜床を配す。庇柱は、几帳面取角柱で、柱間に頭貫虹梁を渡し、端に木鼻を出す。柱上に出三斗(両端連三斗)を載せ、中央間のみ中備蟇股を入れる。斗栱背面には手挟を入れ、両端に海老虹梁を入れて身舎柱と繋ぐ。身舎柱は円柱で、土台上に立ち、四周の柱間に縁長押・頭貫を廻らし、頭貫端に木鼻を出す。側面には内法長押を通し、正面で枕捌きに納めて内方へも廻らす。身舎四隅の柱上には大斗実肘木を置いて軒桁と妻虹梁を受ける。中備は側面に蟇股を配す。側背面の柱間は横板壁。妻飾は虹梁大瓶束・笈形付で、束上に大斗花肘木を載せて化粧棟木を受け、梁行に拳鼻を出す。破風の拝みには蕪懸魚を吊る。身舎正面では間口を1間とし、頭貫虹梁を用いて柱間を開放する。正面の柱筋より1尺7寸ほど奥に内陣正面の柱筋を設ける。内陣の正面は、両端に4分の1の円柱を立て、内に2本の半円柱を立てて間口を3間とし、両開き板唐戸を吊る。柱上には大斗花肘木を載せる。入込み部分の床は長押一段上がった板床とし、天井は板天井とする。内陣内部は一室としている。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻247ページ