八幡神社本殿(旭八幡町)

 

(はちまんじんじゃほんでん)

【建築】

旭八幡町(旭地区)。社伝によると、白鳳3(674)年の創建といい、その後、建久4(1193)年に岡村字市場(現旭八幡町)に社殿を建て、介木郷と小原郷の12村の総鎮守として崇敬されたという。天福元(1233)年に至り、社殿を現在地である築羽根山に遷座したと伝える。本殿には、正徳年間(1711~16)の棟札があったと伝えられ、様式的にも、この頃の再建と考えられる。本殿は桁行3間、梁間2間の身舎の前方に三間庇を付した三間社流造で、軒は二軒繁垂木、屋根は銅板葺(もと檜皮葺もしくは杮葺)である。妻飾は虹梁大瓶束・笈形付で、束上に大斗実肘木を載せる。破風の拝みには蕪懸魚を吊り、鰭には彩色が施される。身舎の正側三方には刎高欄付の縁を廻らし、側面縁の後端に脇障子を立てる。縁正面には擬宝珠柱を立て、登高欄付の1間幅の木階5級を設ける。身舎柱は円柱で、正側面の柱間に縁長押と内法長押を廻らし、柱上に平三斗(四隅は出三斗)を載せる。身舎正面は柱間を1間とし、敷居・鴨居・頭貫を通し、頭貫上の中備には蟇股を入れ、頭貫端は木鼻として出す。現在正面の柱間は開放されるが、当初は引違いの格子戸を入れていた。身舎の後半は内陣とし、内陣正面の各柱間には縁長押・敷居・鴨居・内法長押・頭貫を通し、方立を組み込んで両開き板唐戸を吊る。庇柱は面取角柱で、柱間に頭貫虹梁を渡し、端に木鼻を出す。柱上には平三斗、両端には出三斗を載せ、両端では身舎との柱間には海老虹梁を渡す。中備は中央間のみに蟇股を入れている。本殿は庇の柱割りの変更など、若干の改造は認められるが、ほぼ当初の姿を留めている。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻252ページ