八幡神社本殿(稲武町)

 

(はちまんじんじゃほんでん)

【建築】

稲武町(稲武地区)。本殿の建立年代は棟札より、天保6(1835)年3月釿始、同年10月上棟であることがわかる。大工棟梁は信州工匠立川内匠昌敬他である。本殿は、桁行1間(背面2間)、梁間1間の身舎の前庇に軒唐破風を付した大型の一間社流造で、屋根は杮葺、軒は二軒繁垂木である。身舎の正側三方に刎高欄付の布目縁を廻らし、側面の縁後端に彫刻を施した脇障子を立てる。正面には擬宝珠柱を立て、登高欄付の木階6級を付し、木階の正側面に浜床を設ける。庇柱は、几帳面取角柱で、柱間に縁長押・頭貫虹梁を入れ、頭貫端に象の彫刻木鼻を出す。柱上には皿斗を置き、出三斗を載せ、頭貫虹梁上にも同様の斗栱を2基載せて、この斗栱で軒唐破風の菖蒲桁と虹梁を受ける。斗栱間の中備には彫刻を配し、唐破風正面の虹梁上にも彫刻を充たす。庇と身舎の柱の間には、龍の彫刻を入れ、正面には獅子の彫刻木鼻を出し、背面には彫刻手挟を入れる。身舎柱は円柱で、土台上に立ち、四周に縁長押と頭貫を廻らし、桁行の頭貫端に木鼻を出す。内法長押は側面と背面に通し、正面では枕捌きに納めて内方へ廻らせる。正面の柱間に敷居を入れ、頭貫虹梁として、下端に鴨居を打ち、敷居・鴨居間に格子戸4本を引違いに入れる。側背面の各柱間は横板壁とする。身舎柱には、出組斗栱(隅では一手目を枠肘木とする)を載せ、正面では虹梁上にも同様の斗栱を2基載せる。正面と側面の中備には彫刻を配し、板支輪にも彫刻を施す。妻飾は出組の一手目の秤肘木で妻虹梁を受け、虹梁上に大瓶束・笈形付を載せ、束上に大斗実肘木を置いて化粧棟木を受ける。破風の拝みには蕪懸魚・鰭付を吊る。身舎正面の柱筋から3尺ほど奥に内陣の戸口を設け、戸口前を入込み部分とする。内陣正面は両端に半柱、内に2本の面取角柱を立てて柱間を3間とするが、中央間は約4尺、両脇間は3尺とする。各柱間とも敷居・鴨居・内法長押・頭貫を通し、両開きの桟唐戸を吊る。柱上には、平三斗を載せ、中備に彫刻を配す。入込み部分は床を畳敷きとし、天井に格天井を張る。この本殿は、彫刻を得意とした諏訪の大工、立川昌敬によって建立されたもので、木鼻や中備、脇障子等の彫刻にみるべきものがある。特に海老虹梁の龍の彫刻は見事で、立川流の特徴がよく表れている。当地方にも立川流の工匠が訪れて仕事をしていたことを示す遺構であり、江戸後期の大工の勢力分布を知るうえでも貴重な建築である。本殿の形式としても軒唐破風付の大型一間社流造で、格子戸引違い付の入込みを設ける点に特色がある。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻258ページ