八幡神社本殿(五反田町)

 

(はちまんじんじゃほんでん)

【建築】

五反田町(足助地区)。宝田山昌全寺(曹洞宗)と隣接しており、神仏習合の名残を留めている。本殿の建立年代は、様式から18世紀の初め頃と推察される。本殿は桁行3間、梁間1間の身舎の正面に三間庇を付した三間社流造で、もとは杮葺もしくは檜皮葺であった。軒は一軒繁垂木。妻飾は虹梁大瓶束で、束上に実肘木付の出三斗を置いて化粧棟木を支える。破風の拝みは蕪懸魚。身舎柱は円柱で、土台上に立つ。柱間には縁長押・内法長押・頭貫を廻らし、頭貫端に木鼻を出す。柱上には実肘木付の平三斗(隅出三斗)を載せる。正面の各柱間には敷居と鴨居を通し、柱に方立を打って両開き板唐戸を吊る。側背面の各柱間は横板壁である。身舎の正側三方には縁を廻らし、側面の縁後端に脇障子を立て、縁正面には3間幅の木階5級を設ける。庇柱は面取角柱で、柱間に縁長押・腰長押・頭貫虹梁を通し、虹梁端に木鼻を出す。中柱上には平三斗、両端柱には連三斗を載せ、背面には身舎との間に海老虹梁を渡す。なお、頭貫・木鼻・斗栱・海老虹梁等に朱塗りが施され、斗栱には彩色文様の痕跡も残されている。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻243ページ