発掘調査          

 

(はっくつちょうさ)

【考古】

土中に埋もれた遺跡の内容を学術的に明らかにする考古学的調査方法の一つ。地面を掘り下げて化石や断層などを調べる方法も発掘調査の一種である。発掘調査では、上層から土を掘り下げつつ過去の自然地形や人が住んだ建物などの痕跡(遺構)と人が使用した土器などの物品(遺物)を調べて記録化する。調査には純然たる学術調査と工事等で遺跡が壊される前に行われる緊急調査がある。学術調査、緊急調査とを問わずいずれの調査でも遺構や土層が消失してしまうことに変わりがないため、発掘調査には精緻であることが求められる。日本では元禄5(1692)年に徳川光圀が現栃木県大田原市で行った上侍塚・下侍塚古墳の発掘があるが、E.S.モースが明治10(1877)年に現東京都大田区の大森貝塚で実施した調査が学術的な発掘調査の始まりで、以降、調査方法はより緻密になってきた。調査は表土剥ぎ、包含層掘削、遺構掘削、土層図や遺物の出土状態図作成、遺構実測、写真撮影等の手順で進められ、遺物は地質学の地層累重の法則により相対的な年代順が確認された後に現場から取り上げられ、洗浄、接合復元、実測図作成等により整理される。また、地層内の微化石調査や考古資料の材質分析などの理化学的分析に回される資料もある。調査結果をまとめた記録が発掘調査報告書である。戦前に愛知県史蹟名勝天然紀念物調査会主事小栗鉄次郎を輩出した本市は、もともと遺跡に対する関心が高い地域で、昭和22(1947)年には深見文夫らによって市内初の発掘調査となった根川1号墳の調査が行われている。また、昭和38年の豊田大塚古墳の発掘調査では、夥しい量の完形の須恵器や馬具などが出土し、資料の保管・展示施設として市郷土資料館が建設されるなど、発掘調査の実施は遺跡保存だけでなく文化振興への契機ともなった。なお、発掘調査の実施には文化財保護法、発見された出土遺物には遺失物法が適用される。

『新修豊田市史』関係箇所:1巻512ページ