『八講牒』 

 

(はっこうちょう)

【古代・中世】

猿投神社所蔵。現状は巻子装 3 巻。猿投社で毎年 11 月 15 ~ 18 日に行われた法華八講の頭人などを書き留めたもので、観応元(1350)年から慶応 3(1867)年に至る記録(途中で記録の欠落はある)。文正元(1466)年までは詳しく(第 1 巻)、文明元(1469)年からは簡略になるが(第 2 巻)、各時代における僧・坊の名が克明に記載されている。途中から頭人名に僧侶ではなく俗人の記載が増え、猿投社を支える基盤の変容がうかがえることも注目すべき重要な歴史的現象である。また、本来の記述はもちろんながら、所々の行間や紙背にしばしば記される世間の動向との関わりをめぐる内容がまた注目される。すなわち、天文 3(1534)年に 9 つの堂塔が松平清康に焼かれること、天正 14(1586)年に織田信雄の指示で猿投社の神木が伐採されることなどである。なお、同史料は全文翻刻(中世部分は写真も掲載)が『豊田史料叢書』(猿投神社中世史料・猿投神社近世史料)に収録されている。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻410・534ページ

→ 猿投神社の国書