(はっしょしゃほんでん)
【建築】
久木町(足助地区)。本殿の建立年代は、棟札写により正徳3(1713)年であることが知られる。棟梁は三州設楽郡作手之内草谷村(現新城市)の大工、横山甚左ヱ門重興である。本殿は桁行3間、梁間1間の身舎の正面に三間庇を付した三間社流造で、屋根は銅板葺(もとは杮葺もしくは檜皮葺)、軒は正面を二軒繁垂木、背面を一軒繁垂木とする。妻飾は虹梁大瓶束・笈形付とし、束上に大斗花肘木を置いて化粧棟木を受け、束の頂部に桁行の拳鼻を入れる。破風の拝みと降り、庇の桁隠しには異形の蕪懸魚を吊る。身舎の正側三方には刎高欄付の縁を廻らし、両側面の縁後端には脇障子を設ける。縁正面には擬宝珠柱を立て、登高欄付の幅1間の木階5級を設ける。身舎柱は円柱(背面中柱2本は面取角柱)で、各柱間に縁長押・内法長押・頭貫(背面は頭貫のみ)を通し、頭貫端に木鼻を出す。柱上には大斗花肘木(背面中2本はない)を載せる。中備は正面中央間と側面に蟇股を配す。身舎正面の各柱間には敷居・鴨居を入れ、中央間では方立・小脇羽目、両脇間では小脇羽目を組み込んで両開き板唐戸を吊る。側背面の柱間は横板壁。庇柱は几帳面取角柱で、柱間に頭貫虹梁を渡し、端に木鼻を出す。柱上には端部に連三斗を載せ、中央2本には出三斗(背面平三斗)を置く。中備に蟇股を配す。また両端部では斗栱背面に手挟を入れる。本殿には朱塗りが施され、部材の小口等には胡粉が塗られている。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻236ページ