花園村小作騒動

 

(はなぞのむらこさくそうどう)

【近世】

明治2(1869)年11月から翌年3月にかけて寺田家と小作人との間で発生した騒動。同2年11月初め、寺田家の小作人らは不作を理由に小作料の減免を要求し交渉が始まったが、減免額で折り合いがつかず、やがて小作人らは寺田家の控地のみを耕作している「入百姓」と呼ばれていた抱百姓の小作地を引き上げ、村内の百姓に小作させることを要求するようになった。「入百姓」をめぐる双方の交渉が続く中で対立が激化し、村内一同の者が簑笠を着て同家の門前におしかける騒動にまで発展した。この一件は、領主である上総国菊間藩(旧沼津藩)の大浜役所の沙汰を仰ぐこととなり、翌年正月に花園村を廻村した大浜役所の役人が、ほかの地主と同様の小作料の減免や、「入百姓」の解放などを申し渡している。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻768ページ