(はにわ)
【考古】
埴輪は古墳の墳丘に並べるために作られた土製品で、古墳時代前期からみられ、朝顔形埴輪を含む円筒埴輪と形象埴輪に大別される。形象埴輪は家形埴輪が最初に出現し、古墳時代前期後半以降に盾・蓋きぬがさ・甲冑などの器財埴輪、中期中葉以降には巫女・武人などの人物埴輪や馬・犬などの動物埴輪が新たに加わった。埴輪は古墳を荘厳に見せるとともに、家形埴輪には被葬者の霊の居場所、器財埴輪には被葬者を守護する意味があったと考えられ、人物埴輪や動物埴輪は当時の儀式の場面を再現したものと解釈されている。市域で埴輪を出土した古墳は計14基見つかっており、このうち最初に埴輪が導入された2基はいずれも古墳時代中期前半(5世紀前半)の首長墳である。そのうちの一つである猿投地区の井上1号墳は古墳時代中期前葉に築かれた直径30mの円墳で、豊富な鉄製武器類が副葬され、円筒埴輪のほかにも甲冑形埴輪が出土している。もう一つは市内最大の墳長約43mの帆立貝式古墳である高橋地区森町の八柱社古墳で、土師質の円筒埴輪が採集されている。井上1号墳に隣接して築かれた直径約20mの円墳である2号墳からは、5世紀後葉の窖窯焼成による埴輪が出土している。市内の6世紀以降の古墳から出土した埴輪は、いずれもロクロ使用によりヨコハケが施された須恵器系の埴輪である。高橋地区の神明社古墳からは6世紀前葉の尾張型埴輪と呼ばれる規格性の高い埴輪が出土している。尾張型としては市内最古に位置付けられる埴輪である。なお、西三河地域最大の後期古墳である挙母地区河合町の豊田大塚古墳(6世紀前半)からは、厚手で突帯高が高い多条突帯の特殊な円筒埴輪が出土している。市内で唯一発見された古墳時代の須恵器窯である猿投地区亀首町の上向イ田3・4号窯では、6世紀中葉に焼成された尾張型埴輪と呼ばれる規格性の高い埴輪が併焼されている。上向イ田窯の製品は、保見地区の根川1号墳や猿投地区の青木原2号墳のほか、約9km離れた挙母地区の高根1号墳にも供給されたことがわかっている。また、市内からは、淡輪系埴輪と呼ばれる底部に特徴的な段をもつ須恵器系の埴輪が、保見地区の江古山遺跡の方墳2基(写真:SZ04)と六反田古墳、挙母地区の稲荷塚古墳から出土している。淡輪系は埴輪成形時に繊維質の輪を置いた上で製作を行った技法で、静岡県西部から三河地域では豊川市や岡崎市の一部の古墳でも認められている。このような6世紀の須恵器系埴輪の樹立は保見地区、猿投地区、挙母地区の古墳で共有されており、その広がりは「賀茂」の首長の支配領域を示しているとみられる。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻313・331・354・397・444・460ページ、19巻28・78・466・482・560・666ページ