(はらだきゅうたろう)
【近代】
明治5(1872)年、高岡の資産家の原田九兵衛の長男として碧海郡堤村に生まれる。幼少の頃より、国学者村上忠順の門下生となり勉学に励んだ。成人後、明治32年に碧海銀行設立の発起人となり、専務取締役に就任した。大正12(1923)年に岡崎銀行に合併された後も、同銀行の取締役を務めた。公共事業として堤小学校の増築に貢献をした。明治39年5月1日高岡村制の施行にあたり、初代村長に就任し、40年の任期終了後も、昭和3(1928)年までの長きにわたって村会議員を務めた。原田家には、釚太郎の日記帳が残されており、そのなかに昭和20年1月1日から昭和21年2月11日までの1年1か月が綴られた「備忘日記」があった。『新修豊田市史12 資料編近代Ⅲ』ではその書き始めの1か月間分を翻刻し掲載した。毎日、頁の上欄に旧暦、曜日、天気が記され、本文の一行目には仏様にお参りし家内掃除をしたことが日課として記されている。それに続いて釚太郎の職であった銀行業務や地元町内での各種会合、家族や友人との交流、畑仕事、食事についても細かく書かれている。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻716ページ、12巻621ページ