(ひかげだいせき)
【考古】
足助地区の中立町に所在し、矢作川の支流摺小川に向かって西側から東側に延びた丘陵の標高 119~125mの緩斜面および低地部にかけて立地している縄文時代遺跡。昭和40(1965)年頃に鈴木茂夫によって発見され、その後足助町教育委員会により昭和56年6月に試掘調査、61年7月に第1次調査、62年6月に第2次調査が行われた。試掘調査では縄文時代後期の集石遺構(炉跡)1基、第2次調査では中期後半の竪穴建物跡1基と貯蔵穴1基、後期の炉跡1基が検出されている。竪穴建物跡から約7m離れたところで見つかった貯蔵穴は、竪穴建物跡の検出レベルよりも約110cm 低い低湿地内で確認されている。貯蔵穴の中からトチ・ドングリ類や若干量のクリが出土し、貯蔵穴の周辺からは多数の自然木の出土が認められた。出土遺物には、縄文時代草創期の有舌尖頭器1点、縄文時代早期前半の押型文土器、前期後半と中期後半・後期前半の土器があり、中期後半の土器が最も多い。その他にも、石鏃・石錘・打製石斧・磨製石斧・石製垂飾が出土している。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻88・97・106ページ、18巻318ページ