(ひがしおおみはつでんしょ)
【近代】
東大見発電所は、岡崎電灯の第二発電所として東加茂郡賀茂村大字東大見に設置され、明治44(1911)年3月に運転を開始した。段戸山御料林および東加茂郡有林等で涵養された神越川の水を利用する出力500kWの発電所である。東加茂郡賀茂村大字山、中立字朝日向で取水し、山腹を疏水して同村字天狗下に設置した水槽に導き、賀茂村大字東大見字市平に発電所は設けられた。堰堤や水路には人造石が用いられている。建物は木造洋風平屋建、水路全長1685m、有効落差120m、使用水量毎秒0.56m2で、ホイト社製730馬力のインパルスタービンによって発電機を運転した。発電機はドイツのシーメンス会社製、周波数は50Hzが採用された。これを機に、岡崎電灯の系統は周波数50Hzとなった。発電所からは、2万ボルトの送電線路(亘長約27km)により岡崎変電所へと送られた。建設にあたり地元の強い要望を受け、約4 kmに及ぶ道路の建設を行った。水路の途中に道路建設に尽力した内藤金三の功を称える碑が立っている。岡崎電灯では、発電所建設を契機に、供給区域を足助・挙母はじめ西加茂郡、東加茂郡、碧海郡、幡豆郡、宝飯郡など西三河一帯へと広げ、同社が広域的供給会社へと発展する基礎となった。建設を担当したのは、明治42年に京都帝国大学電気科を卒業した高石辨治(1882~1940)で、後に常務取締役となり、中部電力(岡崎)の副社長・社長を務め、その後中央水力電気、中央電力社長として活躍した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻456ページ、12巻145ページ
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