(ひがしかも)
【近代】
明治29(1896)年12月足助町の東加茂社(編集人岡本虎吉)が発刊した月刊誌である。現在第14号(同31年2月)まで刊行されたことが確認できる。「発刊之辞」には、殖産、教育、尚武を論ずることが富国強兵を目指すためには必要であると述べる。製炭、植林、産馬改良、害虫など産業関係の記事が多く掲載されている。その後明治42年6月になって、東加茂郡農会が新たな『東加茂』の刊行を始めた。編集兼発行人は足助町の柴田善松である。第164号(大正14年3月)まで刊行されたことが確認できる。なお大正10(1921)年4月からは東加茂郡役所が発行することになった。「発刊の辞」では、郡農会が郡教育会やその他の機関を密接に連携して、日露戦後の地方の改良、農業の発展に尽くす決意を述べている。掲載記事の内容は多岐にわたるが、特に農業、畜産、養蚕、林業などの生産、技術の指導が紙面の多くを占めた。初期には青年大会の記録や青年論などの記事も目立ち、郡の発展のため青年に期待する所が大きかった。また第一次大戦後の紙面には、志賀重昂の講演録「欧州大戦の将来 附日本人の覚悟」など、大戦後の国民の自覚を促す論説も掲載され、その他教育の記事も多くなり、紙面の変化もみられた。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻15ページ、10巻696ページ