(ひがしかもぐんきょうりつびょういん)
【近代】
明治15(1882)年東加茂郡足助村に開設された病院である。明治14年東加塩村の医師、田沢多賀吉が病院の設立を発起し、足助村の鈴木利十郎や郡内各村の戸長・衛生委員の賛同を得て、各村の盟約が結ばれて開院した。設立盟約書によれば、郡民は5か年にわたって1人1年につき2銭を拠出して病院経費に充て、院監・病院係が事務を担当し、各村代表が協議しながら運営に当たることになっていた。盟約書には各村の戸長・衛生委員・人民総代100人余りが署名しており、郡民が設立し、運営した自治的な病院であった。しかし、運営費が不足し、当時の経済的不況の影響もあり、明治16年には運営が困難となっており、明治18年に廃院となった。額田郡岡崎には、名古屋の愛知病院の支院、岡崎病院があり、この経費の一部を西加茂郡内の村が支出することもあり、また岡崎病院の医師が東加茂郡や北設楽郡を巡回医療した記録もある。近代的医療施設として県立の岡崎病院の他に、東加茂郡協立病院がごく短期間にしろ存在していたことは、地域医療を下支えする萌芽として注目される。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻97ページ、10巻231ページ