東加茂郡長

 

(ひがしかもぐんちょう)

【近代】

明治11(1878)年10月愛知県は18区制を廃止し、郡制へ移行する行政区画の変更を実施した。そして加茂郡は東西に分割され、東加茂郡役所(写真:愛知県公文書館蔵)は足助村に置かれた。郡長は初代の辻左右から古橋義真、塩田義雄、安藤因蔭、市川信順、三国貞五郎、丹羽勉、田中従義、菅政治、上野録二郎、鶴見専太郎、杉山竹治郎、藤野松平、平良加の14人が歴任した。最後の郡長の平良が辞職したのは、大正15(1926)年7月のことである。在任期間は2年から5年ほどで、西加茂郡長と同様に県内各地の郡長に転任する者が多かった。辻は初代碧海郡長を務めた市川一貫、民権運動家で長く愛知県会でも活躍した内藤魯一とともに、維新政府に敵対し朝敵藩として処分された福島藩(明治2年陣屋のあった三河国碧海郡重原に移封され、重原藩と称した)の藩士出身であった。

「東加茂郡関係写真帳」より(東加茂郡役所文書)
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『新修豊田市史』関係箇所:4巻12ページ