(ひがしひろせきょうづか)
【考古】
石野地区東広瀬町に所在する経塚遺跡。矢作川左岸の河岸段丘上に立地する。直径3.5~3.8m、高さ約1mの楕円形の塚で、頂部に「寛政七」年銘の経石碑が立てられており、1795年に築造されたことがわかる。塚の頂部に掘り込まれた土坑内には2万8764個の一字一石経が埋納されていた。そのうち文字を判読できたものは765個のみで、内容からみて「法華三部経」を書写したものと考えられる。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻711ページ、20巻378ページ
→ 経塚
東広瀬経塚
(ひがしひろせきょうづか)
【考古】
石野地区東広瀬町に所在する経塚遺跡。矢作川左岸の河岸段丘上に立地する。直径3.5~3.8m、高さ約1mの楕円形の塚で、頂部に「寛政七」年銘の経石碑が立てられており、1795年に築造されたことがわかる。塚の頂部に掘り込まれた土坑内には2万8764個の一字一石経が埋納されていた。そのうち文字を判読できたものは765個のみで、内容からみて「法華三部経」を書写したものと考えられる。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻711ページ、20巻378ページ
→ 経塚