久木役所  

 

(ひさぎやくしょ)

【近世】

旗本原田家が知行所支配のために久木村(足助地区)においた役所。原田家は足助荘に居住していた家で、初代種友が久木・八桑(足助地区)・月畑村(旭地区)で450石の知行を得たとされる。大蔵役所旗本原田種直は種友の孫にあたる。2代種吉の時に近江国で500石加増を受けるが、3代種成は子どもに恵まれず、正保2(1645)年に断絶となり、役所は廃止された。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50ページ