(びさんさくどう)
【近代】
大正後半から昭和11(1936)年まで存在した索道(ロープウェイ)運営会社。木節粘土の輸送を主目的として、大正10(1921)年に東春日井郡古瀬戸-赤津の1.8kmがまず開業する。この成績が良かったことを受けて、大正13年に尾三索道架設計画書が作成される。これによると主目的は石粉等の輸送で、古瀬戸-赤津-藤岡村上渡合を結んだのち、上渡合から藤岡村木瀬・同村飯野に分岐するほか、支線として古瀬戸-一里塚が計画された(計13.2km)。また、第2期線として古瀬戸から延伸して瀬戸電気鉄道に連絡する一方で、木瀬-小原方面、飯野-下川口または足助町の延伸も計画された。最終的には小原-旭村小渡-北設楽郡稲橋へと延伸し、合計50kmの索道を構想していたようである。第1期線のうち、古瀬戸-藤岡村木瀬が大正14年5月16日に開通し、のち木瀬-下川口も実現した。しかしながら、道路網の発展に伴う荷馬車・トラック輸送に押され、昭和9年に休業、同11年12月に解散した。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻554ページ