尾三自治同盟会

 

(びさんじちどうめいかい)

【近代】

明治34(1901)年11月結成された愛知県政の刷新を求める政治団体で、その主唱者は大島宇吉(東春日井郡選出の元県会議員、新愛知新聞社長)や武田賢治(宝飯郡の有力者で後県会議員)であった。県内の多くの県会議員がこれに結集し、西加茂郡からは大岩勇夫(のち衆議院議員、名古屋市長)、須賀鎌五郎、東加茂郡からは菅沼録造・鈴木休五郎が創立に参加した。当時の県政は沖守固知事の元で、各種の土木事業(熱田築港、河川改修、県立学校校舎建設など)をめぐって対立が深刻化し、県政の刷新を求める動きが活発化していた。同盟会は県の土木行政や土木費の支出などの改善を沖知事に要求し、県会でも県当局との対立が深まった。愛知県警察部は同盟会の動きを監視し、「野心家」の行動として警戒した。県の土木問題は、明治35年には大規模な贈収賄事件へと発展し、県内各地で多くの関係者が拘引される事態となった。西加茂郡では前年の34年12月、同盟会の支部が挙母町に設立され、支部長に衆議院議員浦野錠平が選ばれた。西加茂郡支部は当時紛糾していた枝下用水の起業権売買交渉に対する郡長原田種澄の介入を強く非難し、また原田郡長の下での郡政の停滞を批判し、勧業、教育、衛生などの事業の進展を要求した。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻340ページ、13号17ページ

→ 大岩勇夫