尾三自動車(尾三バス) 

 

(びさんじどうしゃ(びさんバス))

【近代】

大正3(1914)年から昭和18(1943)年まで存在したバス会社。愛知県下初の本格的な乗合自動車会社。発起人は西加茂郡四郷村出身の代議士、浦野謙朗である。大正元年に上京した際、自動車の利便性に注目した浦野は、本多松三郎・宮川幾太郎らと共同でT型フォード1台を購入。その利用時に便乗の希望が相次いだことを受けて、浦野らは乗合バスの開業を計画した。大正2年8月18日に平戸橋-名古屋市東田町の営業許可を受けたのち、大正3年9月22日、資本金2.5万円の尾三自動車株式会社を創立した。初代の代表取締役は本多松三郎、本社は平戸橋にあった。昭和5年には24路線・総延長720kmを誇るに至る。同年の省営自動車岡多線の開業は経営に打撃を与えたが、値下げ、路線増強、行楽客の呼び込みといった積極策によって対抗。昭和9~10年頃には、小原・大山・北三・挙母の各自動車会社の吸収合併も行った。だが、昭和12年3月に名古屋鉄道が尾三自動車の経営権を取得。さらに昭和18年8月11日、尾三自動車は名鉄自動車に合併された。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻443・562・682ページ

→ 浦野謙朗岡多線(省営自動車)宮川幾太郎