毘沙門堂(上切白山神社)

 

(びしゃもどう(かみぎりはくさんじんじゃ))

【建築】

上切町(旭地区)。上切の白山神社の境内に南面して建つ堂で、地元氏子の毘沙門講によって維持管理されている。屋根葺替の棟札・板札が数枚あり、約20年ごとに葺替えが行われていることから、最も古い安政7(1860)年から20年さかのぼる天保11(1840)年頃にはすでに建立されていたものと推定され、様式も19世紀中頃と考えられる。毘沙門堂は、間口3間、奥行3間半、入母屋造、桟瓦葺(もとは茅葺)、妻入の小規模な三間堂で、正側三方に縁を廻らし、正面に1間の向拝を付し、南面建ちとする。間取りは、主屋の前方2間を外陣、その奥1間半を内陣とし、柱は内陣正面中央の2本のみを粽付丸柱とし、他は面取角柱とする。四周の柱間には敷居・鴨居・頭貫を廻らし、頭貫端に木鼻を出す。柱上には大斗実肘木を載せる。正面では各柱間とも建具は現在板戸2本を嵌め殺しとしているが、当初は引違いの窓であった。また、中央間は両開きの格子戸が吊られていた。側背面の柱間には縦板壁を入れるが、内陣東面の前端間には、引込み板戸を入れる。内陣・外陣境では各柱間には敷居・鴨居・頭貫虹梁を通し、柱上には大斗実肘木を載せる。建具は腰付き格子戸を西脇間では嵌め殺し、東脇間では引違いに入れ、中央間では両開き扉を吊る。内法上には筬欄間を入れているが、当初は半蔀戸で間仕切っていた。内陣の中央後方には後補と思われる簡素な箱仏壇を設け、この上に大型の厨子を安置する。厨子は間口1間、奥行2間、入母屋造、板葺、正面千鳥破風・軒唐破風付の比較的大型の宮殿型厨子で、軒は二軒繁垂木である。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻185ページ