(ひぜんようせいひん)
【考古】
九州の旧肥前国(佐賀県と長崎県)を中心とした肥前窯では中世末期以降に陶磁器生産が始まり、その製品は国内各地だけでなく欧州をはじめ全世界に流通した。中世末期に陶器(唐津焼)生産が、また17世紀前半からは国内で初めて白磁や染付などの磁器生産(伊万里焼)も行われるようになった。市域では初期の唐津焼の製品はほとんど確認されておらず、17世紀代の初期伊万里焼の製品が若干量みられる程度で、肥前窯製品が本格的に流通するようになるのは17世紀後葉以降のことである。挙母城(七州城)跡や挙母地区今町遺跡などでは、磁器染付丸碗、染付小杯、染付丸皿、京焼風陶器灰釉丸碗などが出土しており、おおむね17世紀末~18世紀にかけて生産された製品が多い。全国的には肥前窯産製品が広く流通しているが、市域では隣接する生産地である瀬戸・美濃窯産陶器の割合が高いという特徴がある。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻264ページ、20巻72・80・106ページ