(ひびょういん)
【近代】
明治10(1877)年8月、政府は西南戦争中に発生したコレラに対処するために「虎列刺病予防心得」を公布し、コレラ患者が発生したときに避病院を設置することを命じた。愛知県内では同年10月、第12区(加茂郡)会所が管内8か所に避病舎を開設し、担当の医師を配置して、患者を収容するように通達した。明治12年6月内務省の出した「虎列刺病予防仮規則」には患者の避病院への隔離、死亡者の埋葬法について規定していた。避病院には、黄色の布に「コレラ」の文字を書いた旗が標識として掲げられた。また死亡した患者の運搬に際しても、黄色の小旗に「コレラ」の文字が墨書された。同13年4月愛知県は、町村に衛生委員の選出を命じた布達の中で、衛生委員の職務として伝染病流行時の避病院の設置をあげた。7月には「虎列刺病予防取扱手続」を布達し、コレラの流行の兆しがあれば避病院もしくは仮病室の設置を町村が協議して、設置場所などを県庁へ届け出ることを命じた。特に避病院の位置や収容施設の構造、医師や看病人の配置といった点に注意するように指示した。また同年7月に政府も「伝染病予防規則」を公布し、コレラ・赤痢・発疹チフス・痘瘡が流行した際には、地方長官は避病院を設置すべきことを命じ、医師・衛生委員による伝染病患者への看護が行き届かないときや、病気の伝播が予防できない場合に患者を避病院に収容することを指示した。県内ではコレラ患者の避病院への隔離を不安視する動きもあり、知多郡日間賀島では住民と巡査の衝突事件が起きた。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻91ページ