ヒマヤ

 

(ヒマヤ)

【民俗】〈人の一生〉

かつては出産がケガレと意識され、煮炊きの火をともにすることがはばかられた。このため、市域山間部では別火・別炊をする専用の小屋(ヒマヤ・ウブヤ・ソトヤ)が家ごと、または切(組)ごとに建てられ、大正の頃まで使用されていた。北(小原地区)のある家にあったヒマヤは1坪くらいの建物で、天井から下がる綱につかまって座ってお産をし、その後1か月間、産婦はここで寝起きした。土間には鍋やヤカンを吊り下げるコザルがあり、煮炊きには必ずクリの木を使った。大平(小原地区)にはソトヤという6畳ほどの小屋があり、産婦はヒが明けるまで泥でできたカマドを用いて一人で自炊をした。川面(足助地区)や黒田(稲武地区)にもウブヤの伝承が伝えられている。産の忌みの観念が薄れると産婦は母屋で起居するようになり、ヒマヤは食事の際にのみ儀礼的に利用され、やがては取り壊されていった。なお、ヒマヤは月経時の別火にも用いられた。〈人の一生〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻620ページ