(ひりょう)
【民俗】〈農業〉
肥料は大別すると自家製肥料と購入肥料に分けられる。自家製のものは、草本類(クサ、ヤマクサ、シバクサ)、マヤゴエ(厩肥)、草木灰、屎尿などであるが、足りなければよそから購入することもあった。草本類のうち丈の短い下草類は、オオグロ、アゼグロ、ヤマノコシ、コシ、カゲキリ、ボタなどと呼ばれる、田の近くにある自家の草刈り場で刈るものであった。ここで刈った草をそのまま田に敷き込んで肥料とすることもあったが、ヒクサにして利用することが多かった。刈ったヤマクサやシバクサを野外でニゴ(稲積のワラニゴとは区別される)に積み上げて干したものがヒクサで、稲ワラと一緒にマヤ(厩)に敷き込み、家畜の糞尿と混ぜ込んで発酵させてマヤゴエ(厩肥)を作った。マヤゴエは主に田に入れて使う良質な肥料であり、いくらあっても足らないくらいであった。ヒクサに適しているのはやや丈の長いイネ科の草本類であったが、下草類も一緒に混ぜていた。大野瀬(稲武地区)では山のヒクサ刈りは9月末の仕事で、11月初めにソリで下ろした。一方、人の屎尿を発酵させたものはシモゴエと呼び、主として畑に入れ、田には適さなかったという。市域平野部ではシモゴエの利用・流通が盛んであり、郊外の人が挙母などの町場に通い、お得意の関係を築いた家からもらい受けることも多かった。シモゴエはそのままでは作物を枯らしてしまうので、ノガメ・ドガメ(野甕)に入れて寝かせて(発酵させて)から使った。シモゴエの運搬にはションボケ(小便桶)を使い、コエビシャク(肥柄杓)を使って汲んだり撒いたりした。購入肥料は単肥、油粕、ニシンカス、配合肥料などさまざまな種類がある。窒素・リン酸・カリの3要素を備えた配合肥料は自家で作ることは不可能で、戦後になって各地域で農協やコエヤ(肥料屋)が顧客の獲得に勤しむようになった結果、昭和40年代になるとほとんどの家が肥料を購入するようになった。〈農業〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻170ページ、16巻122ページ