(ひろうえん)
【民俗】〈人の一生〉
かつての婚礼の披露宴は、夕方から夜中まで婿方で行われた。花嫁が婿の家に入る際、小原地区では草履の鼻緒を切って屋根に投げ上げ、「帰ってゆかない」まじないとした。平野部ではこの時、見物人にカヤと呼ばれる菓子を手渡した。盃ごとの後、座敷で披露宴となったが、市域南部では座につくのは花嫁だけで、花婿は「おり場がなかったので、オカッテで燗付けをしていた」と語られている。披露宴には一定のしきたりがあり、山間部では抱き魚といって、大きな生きた鯉2匹を生のまま腹合わせで大皿に盛って床の間に飾り、後から輪切りにして煮て出した。大蔵(足助地区)では宴の最初に「落ち着きの吸い物」を出し、途中で青年団が野菜で夫婦和合の形を作ったものを祝儀として持ってきた。宴の終わりには下座から盃を回して順に飲み干すノボリ盃があり、花嫁はお客1人1人にイケ茶を汲んで出した。ご飯茶碗に注いだワラジ酒を振舞ってお開きとなった。〈人の一生〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻594ページ、16巻545ページ