(ヒロノいせき)
【考古】
稲武地区の大野瀬町ヒロノに所在する縄文時代の遺跡で、野入川が矢作川に合流する地点から約1km 南の野入川左岸の標高470~480mの上位段丘面に分布している。遺跡は西側から張り出してきた丘陵の末端に続く南北約 300m・東西約 150m の半月形をした台地上に所在し、平成6(1994)年3月、林道新設工事の際に段丘末端の切り通しから遺物が出土したことで、遺跡発見となった。同年8月に稲武町教育委員会による切り通し部分の発掘調査と範囲確認調査(第一次調査)、平成10年7月には第二次発掘調査が行われている。第一次調査では、竪穴建物跡8基(1~8号)のほか、土器埋設遺構・石組遺構が検出され、8号建物跡は縄文時代前期、1~7号は縄文時代中期で、1~6号については、4・5号→6号→3号→2号(写真)→1号順に構築されたことが確認された。土器埋設遺構は、底部を欠失した深鉢が正位状態で埋設されたもので、縄文時代中期末~後期初頭のものとされている。狭い範囲内に竪穴建物跡が重複している状況は、縄文時代の土地利用の在り方をよく示す事例として注目される。第二次調査では、竪穴建物跡2基(SB01・02)と貯蔵穴・炉穴・その他の土坑・ピットが検出されていて、SB01・貯蔵穴・炉穴はいずれも前期後半に属すると考えられている。SB02 は隅丸方形の平面プランを呈し、石囲炉をもつ中期後半の建物跡である。石囲炉の北辺コーナーには大形石棒の上半と下半がそれぞれ立てられ、さらに炉の北辺から 50cm 北側には立石が存在していたとされる。南信地域との関係がうかがわれる事例として注目されている。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻71・86・133ページ、18巻580ページ