(ふかみふみお)
【考古】
岡崎市在住で猿投農林学校や挙母高校などに勤めた考古学研究者。昭和22(1947)年に大沢勝らと東保見町根川1号墳の再調査を行い、さらに同24・25年には西尾市枯木宮貝塚の試掘調査を行ってその重要性を明らかにした。大沢とともに西三郷土研究会を設立。猿投地区加納町の藤山2・3号墳や高橋地区野見町の丸根遺跡の調査を進め、特に、昭和27年の丸根遺跡の発掘調査は市内初の学術調査であった。同年、調査成果を國學院大學考古学会の『若木考古』に掲載するとともにガリ版刷り報告書を作成し、調査報告書の作成と遺跡保存に対し厳しい姿勢を貫いた。
『新修豊田市史』関係箇所:20巻761ページ