福岡精一  1855~1942

 

(ふくおかせいいち)

【近代】

安政2(1855)年4月8日、加茂郡殿貝津村生まれ。代言人(弁護士)として活躍し、後に岡崎に弁護士事務所を開設した。明治23(1890)年4月西加茂郡会議員となる。同年7月1日の第1回衆議院議員選挙で第9区(西加茂郡・東加茂郡・額田郡)から自由党の候補者となるが、今井磯一郎に敗れた。第2回衆議院議員選挙(明治25年2月15日)でも、自由党総理板垣退助に応援演説を依頼するなど、懸命の選挙運動を展開するが、再び今井に敗れた。その後、第三回総選挙(明治27年3月1日)では自由党系の浦野錠平と同士討ちを展開した結果、三度今井に敗北している。明治33年9月15日、伊藤博文を総裁とする立憲政友会が結成されると、浦野らとともに参加した。明治35年8月10日、第7回衆議院議員選挙が初の大選挙区制下の衆議院議員選挙(定数名古屋市部2人、郡部11人)として実施されると、立憲政友会から候補者となり、郡部選挙区の第9位で当選した。その際に、旧第9区で得票の多くを獲得するなど、小選挙区時代の地盤を活かした選挙戦を展開している。その後も、第8・9・10・11回衆議院議員選挙で当選し、立憲政友会で活躍を続けた。昭和17(1942)年4月9日、87歳で病没。


『新修豊田市史』関係箇所:4巻200ページ

→ 今井磯一郎浦野錠平