武州浪人

 

(ぶしゅうろうにん)

【近世】

武蔵国出身の浪人、すなわち武蔵国に所領を持つ領主の元家来として浪人している者の自称である。略称を「武浪」という。ただし、本当に元武家であるか否かは疑わしく、アウトロー的な集団だった可能性が高い。東海道筋のいくつかの宿場を根城に「武浪惣代」を名乗る者がいて、一定の組織化を行い、地域社会にいわゆる「仕切り」(その地域に別の浪人などが入って来て面倒なことを仕出かすのを取り締まる)を行って悪ねだりをすることを「生業」としていた。市域では、享和3(1803)年伊熊村が2年分の仕切り料400文を支払ったのが早い事例としてある。地域社会は悪ねだりに苦慮していて、やがて仕切り料をやめ、足代として数文支払うことで早々に追い払うことも行われるようになった。こうした悪ねだりと同様の認識は、浪人以外にも村々に入り込む虚無僧や座頭、諸奉加人などの人々による喜捨、勧化を求める動きに対してもなされるようになった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻242ページ