(ふっそさかうえこふん)
【考古】
矢作川左岸の高橋地区扶桑町に広がる上位段丘面(挙母面)に位置した古墳。前期の倭鏡を出土した古鼠坂古墳の近くにあったと考えられる。大正2(1913)年に面径9.4cmの倭鏡1面が出土しており、小栗鉄次郎が「小丸石ノ積ミタル中ヨリ此古鏡一面ヲ得タリ朱ヲ以テ埋メアリタリト云フ」と記録している。鏡は現在所在不明であるが、小栗のスケッチ(写真)を見る限りでは、6世紀前半の倭鏡であった可能性が高い。本墳の南西0.5kmに位置する百々池下古墳の甲冑とともに、ヤマト政権から分与された可能性の高い希少な副葬品が出土している点は注目される。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻316ページ、19巻588ページ