(ふっそざかこふん)
【考古】
6世紀前半とみられる倭鏡を出土した古鼠坂上古墳の近くにあったと推定される前期古墳。百々古墳と同じく西側に矢作川を望む。『尾三出土古鏡譜』に内行花文鏡の拓本が所収されており、「三河国西加茂郡髙橋村古鼡坂発掘」との紙片が付されている。「尾三出土古鏡譜」の原本と内行花文鏡はともに所在不明となっているが、拓本(写真)の調査記録によれば鏡は直径10.4cmで、鈕の周りに圏線があり、その外側には六花文・銘帯・二重圏線・櫛歯文が巡っている。こうした特徴から、古墳時代前期末の4世紀後半の倭鏡とみられ、本墳は市内では数少ない前期古墳であった可能性が高い。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻273ページ、19巻588ページ