(ふどう1・2ごうふん)
【考古】
加茂川に向かって舌状に張り出した高橋地区東山町の上位段丘面(挙母面)上にあった古墳。市教育委員会によって昭和56(1981)年に発掘調査が行われている。1号墳が築造されて程なくして、その墳丘を取り込むようなかたちで2号墳の墳丘が築成された珍しいケースで、築造時期はともに6世紀中葉に納まる。いずれも円墳で、1号墳は直径10m未満、二重の外護列石をもつとみられる2号墳は直径約19mである。横穴式石室は、1号墳が全長2.9m、最大幅0.9mの小型の無袖形であるのに対し、2号墳には県内最古級の擬似両袖形石室が採用され、羨道の途中には框石を用いた段構造がある。擬似両袖形石室は、九州地方から伊勢を経由して伝播してきたと考えられるため、本墳の被葬者は広域に及ぶネットワークを有していたと推測される。1号墳の石室から須恵器と鉄鏃、2号墳の石室からは装飾須恵器を含む多量の須恵器や武器・装身具が出土した。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻413・467ページ、19巻650ページ