(ふるはしよしざね)
【近代】
嘉永3(1850)年11月28日、古橋暉皃の長男として生まれる。維新後は明治5(1872)年に額田県第8大区第3小区戸長・第13大区区長等村吏としての経歴を積み、11年には北設楽郡長、19年には東加茂郡長など居村を超えて奉職、同年には愛知県会議員にも就任する。県知事と対立して依願免職・帰村するが、その後も稲橋村名誉村長、北設楽郡参事委員、稲橋村武節村組合村長を務め、地域社会に尽くす。同時期議会政治に向けて各地で政治運動が過熱化する中、義真は立憲帝政党に関わりがあったようだが、政治活動にはそれ以上深入りせず産業育成に力を注いでいく。北設楽郡長時代には産馬改良に着手し夏焼村に産馬講習所を開設、28年には馬匹調査会臨時委員となり、33年には三河産馬組合を設立し、組合長に就任するなど終生産馬事業に尽力した。また、26年には愛知県下三河地域各郡農会の連合組織として三河農会を結成、33年には稲橋銀行を設立するなど、地域産業に大きく貢献した。42年11月13日没。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻144ページ
→ 古橋暉皃