(へいしょうじ)
【古代・中世】
綾渡町にある寺院で、現在は曹洞宗。『平勝寺略縁起』によれば、聖徳太子の開創といい、後醍醐天皇第三皇子平勝親王が同地に訪れ、後に勅額を下して鳳凰山平勝寺と号したと伝える。同寺蔵の木造観音菩薩坐像(国指定文化財)は、その胎内に平治元(1159)年の銘を持ち、沙弥妙蓮ら造像に関わった若尾一族の人たちの名を記す。平安時代の地域信仰がうかがわれる貴重な文字情報である。また多聞天・持国天の木造立像(県指定文化財)も注目される。「平勝寺」と大きく字を彫る扁額(県指定文化財)は元徳2(1330)年、世尊寺流藤原行尹の筆によるものという。現在は神明宮と同じ境内地にあり、本堂・庫裏・観音堂・山門があるが、周辺地域に「おくんど」(奥堂)「かねいば」(鐘鋳場)等の地名が見出され、境内域はさらに広大で、堂舎建物等ももっと多かったものと推測される。足助地域における歴史的にとても古い山岳寺院である。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻173・191ページ、21巻98・102・411ページ