(へんそせいひん)
【考古】
植物の樹皮やツル、繊維、および茎を細長く裂いてヒゴにしたものを素材として、編んだり組んだりした製品で、籠や蓆・巾木などの多様な道具類がある。編組技術としては、縄目編み(もじり編み)のほか、ござ目・四つ目・飛びござ目・木目ござ目・網代・桝網代・六つ目などの組み技術が知られており、用いられる経緯の素材の幅と密接な関係がある。こうした編組技術は、日本列島では縄文時代草創期以来、継続して受け継がれてきた。佐賀市東名遺跡で早期末の編組製品が多量に出土したほか、漆が塗られた籃胎漆器が縄文時代晩期の亀ヶ岡文化において盛行している。市内では、高橋地区の寺部遺跡や猿投地区の神郷下遺跡で、実資料が出土している。編組技術は、縄文土器の底部圧痕として残されている場合も多い。市内では、足助地区の今朝平遺跡などの縄文時代後期以降の遺跡で散見されるが、これは土器製作時の敷物として編組製品が使用されたことを示す圧痕である。こうした編組技術は、弥生時代以降のイネの導入によるワラ細工のもととなったほか、古墳時代のマダケを使った、今日みられるような竹細工へと発展してきたと考えられる。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻77・118ページ、18巻56・126・743ページ
→ 神郷下遺跡