(べんとう)
【民俗】〈食生活〉
弁当箱にはメンツイ・メンパと呼ばれる楕円形の曲げ物が使われていた(写真)。蓋と身の両方に飯を詰めたものを、東大林(下山地区)ではリョウカワ弁当と呼んだ。おかずは梅干しくらいだった。麦飯は炊き上がると麦が上の方に集まるため、弁当には下の方の米が多いところを詰めたという話がよく聞かれる。戦後、学校給食が始まるまでは、小学校も弁当持ちだった。おかずは梅干しか漬け物くらいで、冬は教室にあった保温用の棚で弁当を温めたが、タクワンは臭うのであまり入れなかったという。市域平野部では養鶏が盛んで、割れた卵(破卵)で作った玉子焼きを入れてもらったという話も多く聞かれた。戦中から戦後の食糧難の時代は、タカキビなどの雑穀を混ぜたこともあった。遠足の際は、竹皮に包んだおにぎりを持って行った。旅館でもかつては1泊2食に弁当つきが普通で、弁当箱は客が持参した。傷むといけないため、塩サバなどのおかずが多かったという。〈食生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻297ページ、16巻295ページ