方形周溝墓 

 

(ほうけいしゅうこうぼ)

【考古】

弥生時代に出現した墓制の一形式で、墓坑の周囲に方形の溝を掘って区画し、土で覆っている墓。弥生時代前期~古墳時代前期にかけて、主に近畿地方以東の地域で盛行した。墳丘は溝内の土を盛り上げた程度の低いものと考えられ、発掘調査で墳丘内の墓坑が検出されることは稀である。墓坑の数には単独例と上郷地区鴛鴨町の川原遺跡のような複数例とがある。また、周溝も全周する場合と四隅のうちの1~4か所を掘り残す場合がある。市内では総計で72基が調査されている。平面規模は一辺5~10mのものがほとんどで、大中小の3種に分けることができる。高橋地区東山町の栃原遺跡では3m以下の特小例が、川原遺跡では26.5mの特大規模のものが築かれている。地域内の拠点集落へと発展した川原遺跡では水田稲作農耕の定着とともに方形周溝墓も導入され、中期後葉に造営が始まっている。古墳時代に下る方形周溝墓は高橋遺跡と江古山遺跡の各1基のみである。江古山遺跡ではほぼ同規模の溝を巡らせた墳墓がほかに2基あるが、それらは埴輪を伴っているので方墳とみるべきであろう。方形周溝墓は単独で営まれる場合と群集して墓域を形成している場合がある。後者では、弥生時代終末期に土坑墓や土器棺墓が混在している事例がみられる。集落成員のすべてが方形周溝墓に埋葬されたわけではなく、集落内および集落間の社会関係を反映した墓制として注目される。

『新修豊田市史』関係箇所:1巻143・167・174・187・222・264ページ、19巻28・166・190・206・288ページ