(ほうこうしゅう)
【古代・中世】
室町幕府の将軍に近侍した御目見おめみえ以上の御家人のことであり、五か番の体制に編成された番衆やそれには組み込まれない外様衆などを含めた職制を指す。3代将軍足利義満の頃に将軍権力の強化を意図して設置、整備されていき、6代将軍足利義教の頃に制度として確立した。平時には将軍御所の警固や将軍の供奉を、戦時には将軍の直轄軍として将軍の馬廻、旗本などを務めた。出自は足利一門や守護家の庶流、足利氏の根本被官、有力国人領主などであり、300家ほどが知られる。将軍家の直轄領の御料所から所領を預け置かれ、将軍直臣として守護勢力を牽制する存在でもあった。三河国賀茂郡においても、室町時代には奉公衆の中条氏、足助氏らの勢力が強く、守護が賀茂郡に命令などを伝えたことを伝える史料は乏しいことが知られている。奉公衆は明応2(1493)年の明応の政変により、事実上解体し、その後は詰衆として存続するも、かつての役割を十分果たすことはなくなった。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻367ページ、6巻434ページ