寳珠院本堂

 

(ほうしゅいんほんどう)

【建築】

足助町(足助地区)。天正年中(1573~92)に西尾の大給松平家の流れをくむ應空慶聲が堂宇を建立、浄土宗西山深草派に改宗し、光明山寶珠院圓成寺と称した。当寺は、旧西尾城主の先祖大給松平家の菩提寺として、2代乗正、3代乗勝、4代親乗の御霊を祀る。現本堂は、棟札によれば、安永4(1775)年に16世祇空代により建立された。山門は、嘉永5(1852)年、不動堂は大正8(1919)年の建立と伝える。本堂は、桁行5間(実長7間)、梁間5間半(実長6間半)、入母屋造、本瓦型鉄板葺、二軒半繁垂木、南面建ち。柱は、来迎柱、内陣周囲を丸柱とする他は面取角柱とする。堂内は、前1間を広縁として畳敷き、外陣は前面では柱間5間として中央間を背違いに高く敷居、虹梁を通し、上に彫刻欄間を入れ、両脇柱間には敷鴨居、内法長押を通し、内法上を小壁とする。外陣内部は35畳の広い空間として格縁天井(後補)を張る。脇の間は、内陣とともに前面の床高を上げるために上段框を通し、柱間に大虹梁を渡して開放し、内部は10畳として棹縁天井を張り、その後方には柱間に虹梁を渡して位牌壇を設け、その背後に通路を設けている。内陣は、柱間3間の前面に框を通して床高を上段とし、内法上部に中央間を高く虹梁を渡し、その上には両脇に彫刻欄間を入れ、柱上に頭貫、台輪を通し、これを脇の間前面に延長し、柱頂に出組斗拱を置いている。両側面では、無目敷居を通し、内法に虹梁を渡し、頭貫、台輪を通して出組斗拱を配している。内陣前面より二間半後方に来迎柱を立て、前面に禅宗様須弥檀を設け、柱上に頭貫、台輪を通し、出組斗拱をおき、折上格天井を張っている。来迎柱の奥では一間幅の板間を隔てて幅半間の仏壇が造られ、仏壇は3区分されている。なお、現在内陣の床は前半を9畳の畳敷として奥を板間としている。この建物は、内陣と脇の間の床高を一致させ、前面の柱間装置を連続させ、内陣周囲を丸柱、虹梁、斗拱で荘厳し、脇の間の後方に位牌壇を設けるなど、近世浄土宗本堂としての特徴をよく示した貴重な遺構である。

『新修豊田市史』関係箇所:22巻55ページ