紡錘車

 

(ぼうすいしゃ)

【考古】

苧麻などの繊維に撚りをかけて糸を作る際に用いられる紡錘(つむ)の弾み車。紡輪ともいう。円盤形または裁頭円錐形を呈し、中央の孔に棒(紡茎)を通して回転軸とし、その棒で撚った糸を巻き取る。土製の円板の中心に孔を穿った縄文時代の有孔円板も紡錘車とする説もあるが、これには異見もある。弥生時代には紡錘の確実な事例があり、織物をつくる機織り技術とともに大陸から伝来し、広く普及したとみられている。弥生時代には土製・石製の紡錘車が多いが、木製・鹿角製もみられ、古墳時代中期になると鉄製品が現れ、祭祀具としての碧玉・滑石製の紡錘車もみられるようになる。古墳時代中期以降には、土製・石製紡錘車が激減するが、その理由として鉄製・木製紡錘車の普及が想定されている。このような紡錘は奈良時代以降も引き続き作られた。市域では、挙母地区梅坪遺跡のSB512(土製品、6 世紀後葉)と豊田大塚古墳(土製品、6世紀中葉、写真)、高橋地区堂外戸遺跡の SB95(土製品、5 世紀後半)・SB11(土製品、6 世紀後半)・SK10(石製品、6 世紀後葉)と岩長遺跡の SB214(土製品、7 世紀中葉)・ST05(鉄製品、7 世紀末)、および千石遺跡の S Ⅱ -SB01(鉄製品、奈良時代)・包含層(線刻のある石製品、古墳時代後期?)、上郷地区神明遺跡の SB236(土製品、弥生時代後期)・SB1001(石製品・土製品、6 世紀後葉)等から出土している。なお、市域では木製紡錘車は確認されていない。


『新修豊田市史』関係箇所:1巻346・423ページ、2巻111ページ、19巻88・118・144・256・560・602ページ