(ほうとくほんかい)
【近代】
天明7(1787)年7月、相模国足柄上郡栢山村(現神奈川県小田原市栢山)の農家に生まれた二宮金次郎(尊徳)は、災害や両親の死去などで没落した家の再興に成功し、また親類の家や小田原藩家老の家政の立て直しに尽力した。その後、下野国芳賀郡桜町(現栃木県真岡市)の旗本知行所など、関東各地で荒廃した村の再興に取り組み、領民などの反対に遭いながらも再興に成功した。そうした農村再建の手法は報徳仕法として有名になった。維新後、二宮の後継者たちは『報徳記』(富田高慶著、安政3〈1856〉年成立)の刊行などによって、倹約と勤勉を理念とする報徳思想の普及を行い、明治10年代後半経済的不況の影響を受けた農村の復興を後押しする運動が全国的に展開された。三河地域でも北設楽郡や八名郡などで報徳社が結成された。明治17年11月には北設楽郡田口村に北設楽郡報徳本会が設立され、各村に支会を置いて、春秋の大会の開催などを取り決めた。明治21年8月、本会は五部会に編成され、武節町村に周辺15か村をまとめる部会が開設された。会長古橋義真、教師佐藤清臣、巡回員古橋義周などの役員を選任した。加入金を貸し付けてその利子(善種金)で支会を運営し、また『報徳記』や『二宮翁夜話』(福住正兄編、明治20年)の講読活動を行った。
『新修豊田市史』関係箇所:10巻661ページ