法然絵伝

 

(ほうねんえでん)

【美術・工芸】

日本における浄土宗の宗祖である法然房源空(1133~1212)の伝記は建保4(1216)年から嘉禄3(1227)年の間にその最初のものが成立したと推測されるが、絵画化された伝記である絵伝はそれから程ない嘉禎3(1237)年に制作されたものが嚆矢である。法然没後25年を期して制作されたこの絵伝は絵巻であり、法然絵伝として最大規模を誇る四十八巻本と通称される知恩院本(京都府)も絵巻である。これに対し掛幅形式の法然絵伝は絵巻の図様を掛幅化するところから始まったとされ、鎌倉時代末期の2 幅からなる西導寺本(三重県)が現存最古本である。掛幅形式のものは伝存例が多く、浄土宗のみならず法然門下の親鸞を宗祖とする真宗の寺院でも盛んに制作された。実際、三河地方に伝存する法然絵伝の最古本は真宗高田派の妙源寺本(岡崎市)であり、南北朝時代の制作とされる。近世に入ると木版の法然絵伝も制作されるようになり、享和 2(1802)年開版の横井金谷筆 4 幅本、嘉永 6(1853)年開版の冷泉為恭筆 4 幅本などが知られる。法然絵伝によく描かれる事績をまとめると、次のような生涯がたどれる。漆間時国夫妻が本山寺観音に祈願し、男児を授かる。後の法然である。しかし法然 9 歳の折、時国は夜襲をうけ非業の死を遂げる。父の遺言に従い仏門に入った法然は 13 歳で比叡山に入り 15 歳で剃髪・受戒。43 歳で善導の『観無量寿経疏』を読むうちに開眼、夢に半金色の善導と会い開宗の決意を固めた。比叡山を出た法然は 54 歳で諸宗の碩学と大原談義を行い浄土門の意義を広め、66 歳で主著『選択本願念仏集』を著す。旧仏教との確執が深まる中、75歳で専修念仏停止・土佐配流の宣下を受ける。同年末に赦免、79 歳で京へ復帰するも、翌年 80 歳の生涯を閉じた。近世以前に制作された市域の法然絵伝としては、浄土宗鎮西派の萬福寺(大林町)、常行院(今町)、春光院(岩倉町)、浄土宗西山深草派の洞樹院(大沼町)、寳樹院(葛沢町)、真宗大谷派の等順寺(大沼町)のものがいずれも 19 世紀に制作されたものとして伝存する。これらはいずれも掛幅形式で 3 幅形式の洞樹院本を除きすべて 4 幅形式である。このうち寳樹院のものは木版手彩色である。また、真宗大谷派の弘願寺(和会町)には制作年は特定できないものの江戸時代の作と思われる残闕 1 幅が伝存する。

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