(ほうろく(ほうらく))
【考古】
外側から加熱し中に容れた食べ物や茶葉類を煎るための浅鉢形の土製容器・調理具。尾張の清須城下町などでは16世紀後葉に出現したが、市域のこれまでの発掘調査では江戸時代の18世紀以降にみられ、挙母地区今町遺跡からは口縁部を内側に屈曲させて端部に横ナデ調整を施した焙烙が出土している。その形状をみると、半球形の内耳鍋を著しく浅くした形のものと、羽釜(羽付鍋)を著しく浅くした形状のものとの二タイプがある。市域で焙烙生産が行われたことを示す資料はないが、同じ西三河の高浜市域では、江戸時代末の慶応年間(1865~68)に焙烙を生産する窯数が大幅に増加し、明治・大正・昭和期へと引き継がれた。しかし、戦後の鉄製・アルミ製の鍋やフライパン等の急速な普及によって需要が激減し、今日に至っている。市域でもクド(カマド)からプロパンガスに移行し、油で炒めたり揚げたりする調理法が定着する昭和30年代~50年代初め頃までは各家庭に焙烙がみられたという(写真:旧小栗家資料)。
『新修豊田市史』関係箇所:17巻506ページ、20巻106ページ
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