(ぼくよういせき・こちょうもりしたいせき)
【考古】
足助地区の小町森ノ下・木用ほかに所在する縄文時代~古代・中世にわたる遺跡。矢作川の支流阿摺川右岸の南向き河岸段丘上に立地し、小谷を挟んだ西側は小町森下遺跡、東側は木用遺跡と呼ばれる。ともに縄文時代~中世までの遺物がみられるが、木用遺跡では縄文時代後期~弥生時代前期、小町森下遺跡では9世紀以降の古代・中世の遺物が目立つ。木用遺跡では、昭和62(1987)年度の発掘調査で縄文時代後・晩期の配石遺構が確認され、円形石囲炉1基、人骨を伴う土壙1基、埋設土器1点が検出された。ここでは、4点の土偶(写真、今朝平タイプ、八王子タイプを含む)をはじめ、石棒、石刀(小型石棒)、御物石器、玉、有溝砥石などが出土しており、葬送・墓制に関連する祭祀が行われたと考えられている。出土人骨には抜歯の跡もみられ、山間部での出土事例として注目されている。平成3年度ほかの調査では弥生時代前期の溝状遺構が検出され、遺構内外から条痕文土器が中部高地系の浮線文土器や微量の遠賀川系土器とともに出土している。小町森下遺跡では、平安時代後半のピット群が昭和61年度調査区の西端付近で検出され、複数の掘立柱建物の存在が推定されている。出土遺物には、7世紀前半の高杯や8・9世紀代の須恵器とともに出土した耳環などがあり、特に「山田」と墨書された9世紀末~10世紀前半に位置付けられる灰釉陶器皿などの古代の資料は注目される。中世遺物としては、多量の13世紀代の山茶碗とともに陶製羽釜・中国産青磁碗・管状土錘が出土している。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻100・108・116・125・146・151・154・162ページ、2巻47・443ページ、18巻272ページ、19巻334ページ、20巻450ページ