洞一軒

 

(ほらいっけん)

【民俗】〈環境〉

市域山間部では小さな谷をホラ(洞)と呼び、清水が湧いて水田や畑が作られたが、耕地面積は狭く、背後に広い山林があっても、何軒もの家を養うことはできなかった。このため綾渡(足助地区)では、一つのホラで暮らしてゆけるのは1軒だけだとして、「洞一軒」という言い方があった。したがって、ムラのあり方は家が洞に1軒ずつ点在する散村形態となった。黒田(稲武地区)や大多賀(足助地区)などでも、1軒の家が所有するのは屋敷から川端に至るヤシタ(家下)の田畑と屋敷裏山の峰までで、縦に細長いこの区画が旧土地台帳では1筆になっていたという。「洞一軒」という言い方には、ムラの開発がホラを単位になされたことと合わせて、ホラの生産力に限界があったことを示している。〈環境〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻13ページ