本川遺跡

 

(ほんかわいせき)

【考古】

矢作川右岸の上郷地区永覚町大正・砂入に所在し、古墳時代中期を中心として縄文時代晩期~戦国時代までの遺構・遺物が発見されている遺跡。段丘中位面(碧海面)下に広がる標高約19.5mの沖積低地に築かれ、平成10(1998)・11年に行われた第二東海自動車道建設に伴う発掘調査で古墳時代中期の精巧な作りの鳥形木製品が出土し注目された。遺構面は下層から縄文時代晩期~弥生時代中期前葉、弥生時代中期末~古墳時代前期、古墳時代中期、古墳時代後期~平安時代、中世、戦国時代の6時期に分けられている。特に古墳時代前期後半~中期の遺構は竪穴建物跡93基・溝27条・土坑130基・自然流路2条が検出され、繁栄ぶりがうかがわれる。竪穴建物跡の中には1辺の長さが7mを超える大型建物もあり、近くを流れていた流路の岸からミニアチュア土器が多量に出土したことから、水際で何らかの祀りが執り行われていたのではないかと指摘されている。古墳時代中期の遺物には、多量の土師器の他に、伊勢湾型曲柄三又鍬や鉄斧の膝柄・机天板・槽・杭・柱材・板・鳥形木製品などの多種の木製品がある。類例の少ない鳥形木製品(写真)はヒノキの板目材で作られ、大きさは長さ41.4cm・幅12.1cm・高さ7.3cm。上面両側に各6個の小孔が穿たれていて、ここに鳥の羽を挿して飾っていたとみられる。また、中心に貫通する孔が開けられているので、木の棒に挿して集落の入口か、外れに掲げられていたと推測される。本遺跡の古墳時代中期の集落は、須恵器が用いられるようになる以前の4世紀後半~5世紀前葉の典型的な集落であったみられる。

資料提供者「(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター」

『新修豊田市史』関係箇所:1巻142・181・233・282・294・325ページ、2巻441・660ページ、19巻306ページ、20巻684ページ