本地役所 

 

(ほんじやくしょ)

【近世】

旗本大給松平家が知行所支配のために本地村においた役所。元和7(1621)年に美濃国岩村藩主松平家乗の次男知乗が本地・北莇生・南莇生村で1000石の知行を得た。寛永10(1633)年に常陸国(茨城県)で200石加増となったが、万治2(1659)年に2代乗延の家督相続の際に乗延の弟乗英に本地村から独立した千足村と北莇生・南莇生村のうちで300石を分与した。寛文3(1663)年には常陸国の知行所が相模国に村替えとなった。挙母中町の商人高崎家や岩倉村(松平地区)の宇野家は本地役所の蔵米や麦を取り扱っていた。乗延以後、松平家は7代続き、明治維新を迎え、三河国の知行所は重原藩領となった。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻50・344・346ページ

→ 千足役所